(3)
彼らはネットカフェでチャイをすすりながら、ひと月ほど前の軍関係の情報を徹底的に洗い出した。よほどの軍事機密を見たいと思わない限り、ハッキングなど危険な真似をする必要はない。一般公開されている資料で十分だ。大量の資料を読みこなす知的基礎体力とスピードと洞察力があれば、そこからヒントを探し出すことができる。しかしこれは日頃から訓練していないと、なかなかできるものではない。
軍や警察の内部で大きな動きはなかったかどうか。人事の動きはどうか。マットの居所がいつ嗅ぎだされるかもしれないこの現状では、
あまり時間的に余裕はなく、あれもこれも精読している暇はない。次から次へとスクリーンに現れる膨大な資料に、ふたりは恐ろしいほどのスピードで目を通していく。ここ一番でのふたりの集中力は途切れることがない。
「こいつか?」
月のマウスを持つ手が止まった。マットは月の背後から、目の前の画像を覗き込んだ。スクリーンに映し出されているのは、おおよそインド人らしくない、細身の神経質そうな男の顔写真だ。
「ビジェイ・ムクヒ?」
「ひと月前に、この男がインド陸軍の懸賞論文に応募して功労賞をもらってる」
「こいつ、偉いの?」
「インド工科大学をトップで出て、バンガロールの一流企業で精密誘導兵器の研究している。超エリートだ」
この論文を閲覧しようと、月はクリックした。すると、曲線があちこちのたうちまわったようなナーガリー文字が出てきた。月は舌打ちした。
「ヒンディー語じゃないか。辞書がないと読めない」
マットは月の背後からスクリーンを見つめていた。そして相変わらず、何ということはないといった顔をして言う。
「まかせてよ。ヒンディー語っていうのは、ウルドゥー語と文法が一緒なんだぜ?」
「読めるのか?」
「おいおい、俺はヤガミと違って仕事しに来てるんだぜ」
それはそうだ、と月は思った。インドに依頼で来るというのに、ヒンディー語もできないようではお話にならない。ただし、そこまで徹底したプロ意識を持って行動できるのは、たとえ各国の秘密諜報機関であっても一握りの人間しかいないことも事実だ。
「タイトルは?何て書いてあるんだ」
「麻薬撲滅捜査に関する一考察。ビンゴかもしんないぜ、ヤガミ。インド警察がこいつの論文をパクって捜査してるのかも」
マットは画面を見ながら、すらすらと英語に翻訳し始めた。隣で腕組みをしながら、月は流暢なクイーンズ・イングリッシュを聞いていた。
すぐに忘れてしまいそうになるが、マットもLと同じく英国育ちだ。かつてイギリスが支配した国で、メロやマットが依頼のために奔走するというのも奇遇だ。月は椅子の背もたれに寄りかかり、目を閉じてマットの言葉に集中した。難解な表現も多数出てくる。
しかし。
「・・・・反勢力が資金源としている武器、麻薬を軍でコントロールすることは十分可能であり・・・・これらの微量の放射能物質は人体組織には何ら影響はなく・・・・」
その一節に差し掛かった時、月は椅子からがばっと跳ね起きた。翻訳するのに夢中だったマットはきょとんとしている。月はマットの手首を掴んだ。
「マット。僕の部屋に来るんだ」
「へ?」
「その画面を消せ。すぐに。連中がお前を追ってくるぞ」
月はポケットから10ルピー札を3枚取り出すと店員に手渡し、マットを引きずるようにして表に出た。